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大切な事や捨てきれない思い出なんかが、フラッシュバックして涙腺を刺激する


こんな時、いつも流れる音楽がある

ファイト!
闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!
冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

中島みゆきさんの『ファイト』



何事も前向きが一番だ



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僕の故郷、苫小牧。

北海道の海の玄関口であり、千歳空港も敷地の半分以上苫小牧っつーことを考えると北海道の物流、交通の要になってるんだなぁー。

と言えば聞こえはいいのだが………

まぁー遊びに来たり観光するにはなんとも面白みがねぇなぁってのが言うのが今現在の苫小牧。

しかし、そんなところでも掘り下げてみればその歴史は面白い。
北海道の先住民であるアイヌ民族は鮭や鹿の皮で靴を作り、木の内皮を繊維状にし、それで糸を紡いで衣服を作ったりして着用するだけでなく他地域のアイヌとの大事な交易商材だったようだ。

んでもって今から約200年前、八王子千人同心と呼ばれる人達が勇払(ユウフツ、今でいう苫小牧市勇払)に入植し、イワシ漁などで開拓を進め、明治に入ると王子製紙が操業開始。
その頃の苫小牧ではたった4年間だけだけど、驚くことに鹿肉の缶詰の製造もされていたらしいす。
そして苫小牧といえばホッケーやアイススケートが(少しくらいはw)有名ですが、
北海道にスケートが伝わったのは、札幌農学校(現在の北海道大学)のアメリカ人教師がスケート靴を持ち込んだのが始まりで、
同校の生徒であった新戸部稲造(旧5000円札の)が広めるのに一役買ったとか買わなかったとか。
別にスケートを広めたから5000札に使われたって訳じゃないだろうけどねw
当時レザーを使用したスケート靴は高価だったため、当初は下駄の底に鉄の歯を打ち付けた「下駄スケート」が主流だったらしい……絶っっっ対寒かったよなーそんなの。


っつー具合で、だいぶ長くなったけど、教科書には絶対載らないような歴史を知るのも案外楽しくないすか??
別にこのブログで苫小牧の歴史を少し知っても、あなた達の明日が潤う訳でもないだろうし、友達に話すには地味すぎてキモがられるだろうけどさ(笑)
自分が立っていたその場所で、かつてどんなことが起こったんだろうか。
どんな景色だったんだろうか。
そして自分の今立っている場所でどんな歴史が生まれて行くんだろうか。
100年後、200年後、どれだけのことが未来で語られるんだろうなぁ…とか。

今日はいろんな事を思った。



大袈裟な言い方なんかじゃないよ。





久しぶりに雑誌で観ました。十代の時に衝撃を受けてから、僕の中で永遠のアイドルになりました。

数年前、そんな彼女に手紙を送りました。返事がきたときの喜びは今でも忘れません。『ただただ驚きました』という文章の始まりに、こっちがぶっ飛んで腰を抜かしたのを覚えています。
いじめられているような作品が多かったり、音楽のセンスがよかったり(あくまで予想)、等…。十代の僕には存在すべてが新鮮だった。


夢を与えてくれる人がいて、生きていける。それはなんて素晴らしいことなんだろうと思い、明日への勇気に変わるんだよ。

いつか僕も、誰かのそんな存在でありたい。



先輩に頂いたヴィンテージのオーバーオールに身を包めば気分はゴールドラッシュに沸いたアメリカのリアルワーカー。

ウォバッシュストライプのキャスケットで週末のスタイル。とか言ってみる。。

しっかし昨日から札幌はかなーり寒い。昨日なんて3℃!!

けど、寒くて背筋が凜としてさ、これがなかなか心地よい。コタツでまるーくなるのはジジーになってからで充分であろう。要はまだまだこれからだっつーこと。まったく楽しいぜ。

話は変わってJIMMY EAT WORLDの新譜がヤバーい!!ヤバーい×100





幼きノザキ、リキッドホーム。だって、さみしいんだもん



今日はライブを見に行きました。初めてのミドリカワ書房


僕たちのマドンナは何してるんだろな



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